人間らしい人間に還りたい

あっと言う間に年が明けて2021年になり、

気づくと2021年はもう3か月が過ぎ去ろうとしている、春分の日の翌日。

最近のもっぱらの興味関心は、

農業・野菜

移住・地方・山・川・海

音楽・サックス

 

半年後の2021年9月には、どこか農業ができる地方へ移住をしようと絶賛計画中です!

(こんなところで宣言しちゃってよいのか!?笑)

 

でもきっと、引き寄せられている、呼ばれている、そんな感じがするのです。

 

 

 

2020年2月頃から新型コロナウイルスがこの地球を一変させた。

 

物理的な接触がとことん断絶された世界。

人々は、デジタル・テクノロジー・オンラインを用いて、

物理的な接触のない接触を維持しようと必死ですね。

もしくは、物理的な接触が断絶されながらも、従来の生活を続けようとしている。

相変わらずの満員電車。

不思議でなりません。

 

新型コロナウイルスがもたらした損害はもちろん計り知れない。

多くの命が奪われ、人々は疲弊している。

 

10年に1度は世界を変える何かが起こると言われているこのVUCAの世の中。

新型コロナウイルスがもたらした恩恵は?何もないのだろうか?

私たち人類に気付かせてくれたことは?

今必要なのは、「デジタル化」をひたすら進めることなのだろうか?

その先、人類の未来は明るくなる?ハッピーになる?

 

ちょうど10年を迎えた、東日本大震災

被害を直に受けた方々は、その経験から、自分の生き方が、価値観が、変わったはず。

被害を受けていない方々も、そんな人たちの語りから気づいたことも多いはず。

 

こんなにも、私たち自身と向き合う、振り返る機会がたくさん与えられているのに、

なかなか人間に変化が生まれない。

 

私は変わりたいので、変わります。

(というか、飽きちゃう性質。笑)

 

 

 陽の光を感じられないテレワーク

2020年3月頃からテレワークが開始。

はじめて気づいたこと。

この家は、テレワークする部屋じゃない。

 

お風呂入って寝るだけ用といっても過言ではない、

室内の日当たりはいまいちな1階の部屋に住んでいた。

外に出ないこともあるから、陽の光を感じにくい。

お昼3時頃になると、既に部屋の中が暗く感じて電気をつける。

 

裏には大家さんのお家。

大家さんはとっても優しいおばあちゃんで、素敵なご家族ではある。

だけど、部屋にいることが増えると、子どもたちの騒ぎ声

もともと子どもは好きなはずなのに、だんだんとその声が鬱陶しくなった。

もちろん子どもたちもなかなか外で遊べず、幼稚園や学校にも行けず、

ストレスが溜まっているのもわかる。

だけど、私にとっても、それはストレスだった。

(世のお父さんお母さんお疲れ様です)

 

ストレスも溜まっていたのか、口周りのニキビが激悪化した。

(後々、プロテイン飲むのを復活させたらだいぶ良くなった)

 

ちょうど契約更新が年末ということもあり、

9月に日当たりの良いお部屋に引っ越しました♡

めちゃくちゃ快適\( 'ω')/

 

陽の光を感じられない生活。

私にはもうできないな。

 

 地方に身を置くというだけワ―ケーションは中途半端

 テレワークが進むにつれ、ニュースでもよく取り上げられるようになった

「ワ―ケーション」。

PC・スマホさえあれば、いつでもどこでも自由にお仕事ができるから、

自然溢れる豊かな場所でお仕事を… という考え方。

確かに、住環境の選択肢が増える、という意味があったり、

地方経済が回るようになる、という意味があったりはするでしょう。

だけど。

中途半端じゃないですか?

仕事がしたいの?自然に触れたいの?

本来、「自然に生かされている」はずの人間。

画面に向かい、自然はふと眺めるだけ。

自然に失礼じゃないですか? 

挙句の果てには、

「テレワークで太った」

「テレワークで運動不足だ」

どこまで人間わがままなんだ...!

せっかく地方に引っ越したのに、相変わらずPCやスマホに向かうの?

 

ひたすら画面に向かい続ける生活。

私にはもうできないな。

(まだ20代なのに、画面見続ける時間が続くと目がしょぼつくようになりました)

 

おひさまの下で自分の身体を動かして食物をつくる農業の魅力

そんなことを感じていた矢先、たどり着いた「農業」。

 狩猟採集民族から、時を経て農耕牧畜民族へと進化した。

 

さて、なぜ農耕牧畜を始めたのか。

しかし、今から2万年ほど前に大陸氷河の後退が始まり、気候が次第に温暖化してくると、寒冷地を好む大型獣は北上して人間の住んでいるところから遠ざかって行った。

狩りが困難になると人々は食用にできる植物を探すより選択肢がなくなった。

しかし、大きな集団が採集生活で暮らせる土地は限られている、だとすれば、人類は一か所に定住して食料を調達する新しい方法を探さなければならなくなり、そこで考え出された新しい食料調達の方法が農耕と牧畜であった。

食べるものを自分の手で生産することは、過去の知識、経験を活用できる高度の知能と仲間と話し合って協力を求めることができる言語能力を備えていた新人類でなければできない行為であった。古代の農耕や牧畜は集団で分担、協力しなければ行えないことであった。

 

・狩猟採集しているだけでは、食物が足りない

・定住して食料を調達する方法を考えた

 

生きるという前提において、

食物を得ること(仕事)が目的であり、定住すること(環境)が手段だった。

 

では、現代はどうか。

 

生きるという前提において、

定住すること(環境)が目的であり、食物を得ること(仕事)が手段であることもあれば、

(ワ―ケーションとかはこれに当てはまりますね)

食物を得ること(仕事)が目的であるものの、

定住・移住・動住(造語です)の手段は自由ということもあるのではないでしょうか。

 

本来は、各地を移動しながら暮らしていた人類...。

ただし、生きるための食糧を得るために定住をせざるを得なかった人類...。

いつからか、定住が当たり前になり、食糧のために他の人を動かす(物流)という仕事を生み出した人類...。

挙句の果てには、テクノロジー・オンラインによる自らの運動不足を揶揄するようになった人類...。

 

 

いざ、本来の人類に戻ってみようではありませんか!

 

実は、実際に2月末にとある地方で農業体験をさせてもらいました。

体験して感じた結論は、

「農業やりたい!」

「移住したい!」

なのですが、

農業の魅力は、

①おひさまの下で自分の身体を動かす!

②自分の血や肉となる食物を作る喜び!

はもちろんなのですが、

③完全成果主義

④自然な協働作業

が新たな気づきでした。

 

③完全成果主義

 →成果が目に見えること

④自然な協働作業

 →成果・モノがすぐそこに目に見えるからこそ、

みんなでその成果をあげるための自然な協力が生まれる。

オンラインでの協働作業には

「共有するね、見てね、これやってね、あれやってね」という手間や指示が必要で、

抜け漏れ激しい人にはひたすらリマインドをするという無駄な作業が発生し、

とてもとても非効率。

(残念ながら、私は結構真面目タイプなので私個人の抜け漏れはなく、

自分自身ができてしまうから、

周りの抜け漏れに対するケツ叩き役になることが多く、

自分ができてることに対してケツ叩き役をするほどイラつく作業はありません)

そのくせ、

今は、縦割りでも横割りでも、似たような事業が多数展開されているから、

「協働が大事!」

「連携が大事!」

なんてことばかり言っている。

矛盾というか、違和感というか、なんだか気持ち悪い気さえしてくる。

 

作り手になりたい

昔から、占いとか、占い師さんによく言われるけど、

いまいちまだピンと来ていないことがある。

 

 

「アーティスト、芸術の才能があります」

 

 

小さい頃から、親のおかげで、たくさん習い事はさせてもらった。

 

ピアノ・エレクトーン

新体操

書道

英語

空手

水泳

陸上 ...などなど

 

小さい頃は楽しく(時に辛すぎてやめたいと思ったこともあったけど)

続けていた習い事。

 

せっかくお金も時間もかけて習ったのに、

それらを表現者として、もしくは指導者として、仕事として扱わない限り、

大人になると、

趣味などで続けたり携わったりすることが

なかなかないことは、

残念だな、もったいないな、大人も楽しめる環境があるといいのにな

とはずっと思ってきた。

 

これも、コロナ禍で、少し転換が起きた。

 

メディアから流れる情報がコロナ関連ばかりになり、

それ以外でもハッピーなニュースはほとんどなく、

世間の動向を知ることは大事だけど、

これらの情報を自分が取り入れることに、

どれだけ自分自身への価値があるのか、影響があるのかを考えると、

あまり取り入れる必要がないな、

取り入れたくないな、

と思うようになった。

 

代わりに取り入れるようになったもの。

 

それが、

 

音楽。

 

 

2020年の年末には、アルトサックスを購入。

 

鍵盤楽器しかやってこなかったけど、

昔から、コンサートとかでサックスを聞くたび、

いつも、

「サックスかっこいいなあ…」

と憧れていた。

 

 

2020年の秋頃から無性に楽器がやりたくなって、

でも鍵盤は昔からやってるし、

「よっしゃ、サックスだ!」

と思い立って、購入。

 

 

まだまだ下手くそだけど、

スポーツと同じく、楽器は自分ができるようになってる感が

自分自身で手ごたえを感じられるのが好き。

 

 

 

人間、「(共)食」と「音楽」があれば幸せなのではないかという感覚。

 正確に言うと言葉よりも先に音楽がありました。音楽を奏でて、遠くにいる仲間に直接的にメッセージを伝えたんです。

言葉は、人間が五感で感じるものをいったん抽象的にして再現する、非常に効率的でポータブルなもの。言葉によって、人間の共感力は格段に伸びたと思います。

 人間以外の霊長類は、ゴリラも、チンパンジーも、食べ物は見つけたその場で食べます。人間だけが食べ物を移動させて、仲間と安全な場所で共食するんです。

 

 

「農業」も、

「音楽」も、

自らが何かを創り出すこと。

クリエイター。

creator

つくりて。

これが、占い師さんのいう、

「アーティスト、芸術の才能」

に繋がることなんじゃないかな?という気もしている。

 

 

正直、これまでは、

周囲に期待される人生を歩んでいて、

親なり、友達なり、所属先なりのコミュニティのレベルや考えに染まり、

自分自身での選択がとても狭かった。

 

いろんな人と出会ったし、

いろんな勉強をしたし、

いろんなことを知ったとは思うけど、

それも、周囲からたまたまたどり着いた情報であって、

ほんの一部でしかない。

 

 

思えば、

小さい頃から歌うことがだいすきだったし、

外で遊ぶのがだいすきだった。

 

改めて、生まれたばかりの自分、

まっさらな自分で、

次のステップを、

自分の気持ちに素直に、

導かれたご縁に乗って、

進んでみるときだ。