逢うべき人に出逢えることを人は仕合わせと呼びます~『糸』鑑賞。~

「運命の糸ってあると思う。たまにほつれて、切れることもある。でもまた、何かにつながる。生きていれば必ず何かにつながる……」

「出会うべき時に、出会うべき人に出会うんだと思います」

「良い出会いも悪い出会いも含めて、仕え合わせるという"仕合せ"と書く」

 

当初4月公開だった映画『糸』。コロナの影響で、4カ月延び、8/21(金)公開。

今日観てきました。

涙、涙、涙…の連続でした。心揺れ動かされた。いい時間でした。

 

普段映画を観る習慣ってあまりなくて、ましてや映画館なんてほとんど行かないのに、

この『糸』は、予告見たときから何か気になっていて、

公開日が決まったら、やりたいことリストに入れてたくらい、

強く惹かれていた映画。

 

この映画を自分が映画館に足を運んで観に行ったこと自体も、

私にとって何か"つながる"ことのような気がしている。

 

中学校1年生、13歳の時に出逢った主人公のふたりが、

時を経て30歳を過ぎ、また巡り会うラブストーリー。

そういえば、私のこれまでの最大の恋愛も、中学校での出逢いだったりする。

将来を共にするようなことなんて約束してないし話してすらなかったけど、

一緒にいたときは、

「結婚したいなあ、ずっと一緒にいたいなあ」

なんて気持ちがあったっけ。

 

映画のように、

既に彼は、結婚しているけど。子どもはまだいないかな。

私は、葵ほどは飛び回ってはないけど、ある意味、好きに動いている。

30歳過ぎたら再会してまた何かが動くかなあ。

(再会できないほど遠い距離にいるわけじゃないけど)

 

 

コロナがあって、「こんな時だから、何かやらなきゃ」よりも、

今まで、気持も行動も割と、外(他者)に向いて(しまって)いたこともあって、

「こんな時だから、立ち止まろう」って感じた。

たくさん手放した。

 ・平日夕方、週末の、ほぼボランティアの少年サッカーの指導(緊急事態宣言中は実施不可)

 ・夏季休暇の、ほぼボランティアの母校高校のサマースクール(コロナで中止)

 ・都度都度、人からの頼み事

 ・オンライン飲み会のお誘い

手放した経緯は、自ら手放したわけではなく、

延期や中止で強制的に手放すことになったこともある。

でも、結果、手放して感じたことは、

「何のために忙しくしていたんだろう」

「何のために頑張っていたんだろう」

「何に焦っていたんだろう」

「何に不安だったんだろう」

「私は何がしたかったんだろう」

ということ。

 

常に、

自分ではない誰かのために、

自分ではない誰かに見てもらうための何かのために、

とにかく、「何かをしている自分」を創り出していたな、と。

 

時間や労力、気持ちに余裕ができると、

どんな些細なことでもいいから、自分が満足することを見つけられるようになった。

そして、そのために動けるようになった。

 

 ・果物野菜を食べること

 ・ゆっくりお風呂に入ること

 ・寝ること

 ・朝日を浴びて起きること

 ・見たいテレビを見ること

 ・聴きたい音楽を聴くこと

 ・行きたい場所に行くこと

 ・読みたい本を読むこと

 ・おしゃれな服を見ること、買うこと

 ・考えたいことを考えること

 

…人間って、日々、衣食住を満たすだけでもこんなに忙しいのか、と思った。

 

ただ。

毎日その時々で、自分が満足することをしているだけでは、

成長がないのかもしれない。

最終的になりたい姿からの逆算じゃないかもしれない。

 

「最終的には地元に帰って先生になるの?」

よく聞かれる質問。

そんなのわからない。

そもそも「最終的」って、いつのこと?何年後?何十年後?

もはや、私はいつまで生きるの?

 

誰も何もわからない。

「◎年後にありたい姿から考えろ」なんてよく言うけれど、

◎年後が今と何も変わらない環境だなんて誰もわからない。

 

だとしたら、

日々、その時々で自分を満たしてあげることの方が、

満足した一瞬一瞬の積み重ねの方が、幸せなんじゃないか。

 

やりたくないことをやらない、

辛いことから逃げていい、

っていうわけではない。

 

その行動ひとつを単体で楽しむ、満足するのではなくて、

何かに繋がる可能性に賭けて、ポジティブな未来を描いて進んでみること、

進んでみるときに自分自身の「やりたい」「進みたい」の気持ちがあることを直感でいいから確認すること、

かなと。

 

現に、『糸』のように、行動や出会いから、繋がっていることってたくさんある。

その時はわからないけど、振り返ってみたら、繋がっている。

 

これからも、自分の素直な気持ちに常に敏感でありたいし、

その気持ちから行動することを続けていきたい。