悩みもがいた半年の末、たどり着いた偶然のような必然の出会い。

「2021年9月には、地方で就農!」と宣言していた3月から、また3か月。

紆余曲折を経て、次の道が決まりました。

来月8月から、DXスタートアップ × 人事 × 海外…!

 

新型コロナウイルスが与えてくれた「自分と向き合う時間」

2020年3月。新型コロナウイルスの出現により、人との距離を取ることを強いられた。

であれば、私も「積極的に」人との距離を取ろうと決めたあの日。

そこからの気づきが大きかったのだと思う。

 

当初は、これまで対面が当たり前だったところに、オンラインを無理やり適応させて、なんとかできることをやってみようと走り出した。 

ちょうど4月に新たな環境、特に、大学受験を終えて、入学間近という新大学1年生たちの知り合いが多くいる中、

友達ができるか心配です…! 

留学行こうと思ってたのにこのままじゃ行けない…!

そんな叫びを聞く中で、

「進学する大学の大学生たちと話せるオンラインの場作るよ!」

「海外にいる友達と話せるオンラインの場作るよ!」

なんて動こうとしようとしていたところ。

 

私の手が止まった。

 

はて、これは誰のためなのだろう? 

確かに、オンラインの場を作ることはできる。

けれど、それを彼らは求めているか?

「大学生たちに出会いたいです!」「海外の人と話したいです!」

と明確に求められているわけではない。

心配ですー!行きたかったのにー! っていう悲しみはもちろん受け止める。共感する。

けれど。

その先のアクションには、もっと多様な選択肢が既にあるのでは?

  • 私が勝手に、オンラインの場を創ろうとしているだけでは?自己満?
  • 本当に求められている?
  • どれくらいの人がそれを求めている?
  • 自分がその場を創ることで、どんな満足がある?

 

世の中、やったほうがいいこと、あったほうがいいことは無限にある。

確かに私が少し何か動くことで、助かる人がいるとは思う。

 

けれど。

今、私がそれをすべきなのか?

そう思ったら、そのまま続行!とはいかなくなった。

 

  • とにかく、人のためになること
  • 自分が必要だと思うこと

に対して、そのまま動くことをやめようと思った。

 

ベクトルを他人に向けず、自分に向けてみよう、そう思った。

 

▼起こった変化

毎日の出勤

 →リモートワーク(往復通勤時間が空く)


対面でのイベント(仕事に限らず)

 →オンラインイベント(拘束時間変わらず)


勤務後の飲み会

 →なし(夜の時間が空く)

 

土日の少年サッカーチームでのコーチ(練習自体ができない)

 →なし(土日が割と空く)


夏に企画運営していた出身高校でのサマースクール(中止になった)

 →なし(隙間時間が空く)

 

▼生まれた時間

平日の往復通勤時間(1.5h/日)

平日夜(4h/日)

土日(4h/日)

… ざっくり、総じて、35.5h/週 に空きが出たことになる。

 

▼やったこと

朝の筋トレ

ドラマを見る

食に気を遣う(デトックスファスティング、野菜中心など)

引越し

断捨離(引越しに伴い)

サックス🎷購入

…ご覧いただいた通り、計画的に、先見性をもって、コロナ禍を過ごせたかというとそうではない

(やっと先日契約した、歯の矯正と、全身医療脱毛早く契約したかったと思ってる)。

 

けど、衣食住、生活を大切にできたことは間違いない。

 

自分の身体を動かして自分をつくる第一次産業「農業」に目が向く。

前の記事でも書いた通り。

人に会わず、自分の生活を大切にした日々。

食に気を遣う日々。

テレワークの中、筋トレをする日々。

 

自分の身体を動かして、自分の血や肉となる食物を作る農業って、人間の根幹ジャン。

 

そう思った。2020年末。

意気込んで、「2021年9月には、地方で就農するぞ!」と、

農業フェアに参加してみたり、

実際に2021年2月には北海道に行って農業体験をしたり、

一次産業に特化した求人サイトに登録して面接受けてみたり…。

詳しくはこちらで☟

 

iharamisora.hatenadiary.com

 

1,2,3,4月までは、地方就農の一択でした…。

ところが!!!!!

まさかのどんでん返しがありました。

 

母からの猛烈な大反対。

 

実家名古屋に帰省したGWにて。

 

「北海道よかったよ~

農業の成果主義、自然な協働、いいよね~

地方で農業やるわ~

現職も夏には辞める~」

 

なんてポロリ発言。

 

すると、ひたすら黙ってスマホをいじり続ける母。

農業界隈のさまざまな情報を調べていたそうで。

(何事も、頭ごなしに否定するわけではなく、現実・実情を調べた上で判断したいというしっかり、きちんと、ちゃんとしたい母なのです)

 

最大の論点は、

「決意・覚悟があって、前向き・ポジティブな、未来志向な選択なのかどうか」。

 

細かくは、

①どこで何をやるか明確なのか(当時は、求人情報も何もない、口約束しかなかった)

②農業をやっていけるか(動物も虫もキライな私。。。)

③生活最低限のお金が稼げるか(確かに低所得にはなる)

 

考えが甘いことを叱られて、

まったく向き合って話すことができず、

泣きじゃくり、

泣きわめき、

とにもかくにも、早く帰りたかった。 

 

「地方で就農するんだ!」と意気込んでいた私は、意気消沈。

帰らなければよかったと、激萎えして東京に戻った私。

 

いつまでに親に事前に相談しなきゃいけないんだっけ? と反抗しつつも、

確かに、

決意覚悟が決まっているのか、

生きていけるのか、

と問われると、自信をもって確信をもって突き進む状態ではまだなかった。

熱しやすく冷めやすい私の、短期的な、ないものねだりなのかもしれない。

 

 

とはいえ、農業の魅力を感じていることも完全に否定できるわけではないので、

引き続き、農業特化の求人応募を続け、

それに並行して、民間企業への転職活動も改めて続けることにした。

 

何か・誰かのためになることを、一緒にやりたいと思えるチームでやりたい

最終的には、偶然とも必然ともいえる、頼れるエージェントさんとの出会いがあって、

ピンポイントで紹介してもらった会社に決まった。

わずか10日程度で、

エージェントさんとのお話、会社の人事さんとの面談面接を経て、

あれよあれよという間に内定通知。

導かれている、そんな感覚があった。

 

 

コロナにより、

自分のしていることが、

どんな価値をもっているのか、その価値提供先は何なのか

が見えづらくなったこと。

 

コロナによるテレワークも後押しし、

誰とやっているのか、チームなのか

が感じられなくなったこと。

 

「価値提供先」「チーム」、この2つが、今現状における不安、不満なのだろうと気づいた。

 

けれど。

どこでやりたいのか(業界・事業)

なにをやりたいのか(職種)

と言われると、何も見えない。

 

 

前職の先輩から誘われたり、教育業界からのお声かけがあったり、

現職をもう少し続けてみるのもいいよと提案してもらったり、、、

ありがたいお話ではあるものの、どうもピンと来なかった。

 

次を決めずに会社を辞めて1年近く自由時間を過ごした知り合いに相談したり、

キャリア教育に邁進する教授に相談したり、

同じように農業に興味を持って、農福連携を検討する友達に相談したり、

それこそ、脱サラして夫婦で独立就農した先輩に相談したり、、、

いろんな人に相談させてもらった。

たくさん共感してもらったり、少し先行く経験を聞かせてもらったり、

とてもとても有意義なお話、メッセージがたくさんあった。

 

 

実は、GW終えて東京に戻ってきてすぐに、農業法人からの内定をいただいていたが、

オンライン面談一度きりで、さすがに一度も現地を訪れないままにも決められない。

農業法人一択で決められない。なんとか他の選択肢も作らなきゃ。

 

最悪、積極的ニートで完全に自由になってみるのもいいか…なんて思っていた矢先。

 

ビズリーチ経由でメッセージもらっていた、

実は少し気になりつつも、返信をしていなかったエージェントさん。

 

転職エージェントは過去の経験からあまりいいイメージがなくて、返信していなかったけど、

な~んとなく、この人には返信をしたほうが良さそう…な感覚が不思議とあって、

返信をしてみた。

 

そのインスピレーションがあって、お話したことは、

これまでの私のこと。

新卒で選んだ会社、1回目の転職、今感じていること…。

率直に素直に。

マイノリティでありたい(になりがちな)こと、期待に応えたいと思うこと、根底は真面目なこと…。

 

小一時間で要素を見抜いてくださり、1社紹介してくださった。

 

エージェントさんと、その紹介された会社の人事さんも、昔一緒に仕事をした仲であることもあり、

人を見る目は近しいと。だいたいずれることはないと。

そんな関係性、絆にも助けられ、ぽんぽーんと採用が決まった。

 

確かに、cultureには、私が大事にしたいことがまざまざと明文化されていてとても共感できたし、

社員さんたちのインタビューを読んでも頷ける経験が多く、

事業としても、これは、このwith/afterコロナだからこそニーズが高まるであろうこれからの事業だ!今だからこそだ!とも思えた。

 

また、何よりも、嬉しかったことは、

未経験の職種も提案してくださったこと。

他の会社では、これまでのスキル経験でしか語られず、求められなかった一方で、

この会社では何よりもカルチャーフィット(企業文化・社風に合っているか)を大事にしていて、

フラットに私を見てくださったうえで、営業・マーケ・人事の3ポジションが可能性あるのではと提案してくださった。

しかも、「絶対できるよ」「絶対大丈夫」と、強い確信の言葉と共に背中を押してくださった。

 

ここも、職種にこだわりのない私にとっては、とても嬉しい・ありがたいことで、

そんな機会を提供してくださるからには、やってやろう!という気持ちにもなれた。

 

 

最終的には、この会社か、農業か、現職継続か、積極的ニートか…の4択だったが、

業界・職種・給与待遇・魅力・懸念、諸々を書き出して並べてみたら、

この会社がダントツだった。

積極的ニートになったとしても、何かを見つけられる自信もない。

この会社で働く機会を失ってまで、得たいものはない。

そう思えたとき、覚悟を決めることができた。

 

人とのコミュニケーションを通じて。動きながら感じながら動く。

これまで自分が関わってきたことが、

すべて「コミュニケーション」に集約できると感じた。

「教育」「留学」「営業」「コミュニティマネージャー」

 

無駄になることなんて何もない。

振り返ればすべて繋がっている。

 

立ち止まって考えることも必要。

だけど、完全に立ち止まるのではなく、動き続ける。

 

動き続けた中で見つけた道。

選んだ道を正解にする。ただそれだけ。

 

 

VUCAと言われるこの時代。

この先も何が起こるかわからないけれど、

その時その時の自分の気持ちを大切に、素直に感じ取って、

変化することを恐れずに、さまざまな波に乗っていきたい、そんな気持ち。

人間らしい人間に還りたい

あっと言う間に年が明けて2021年になり、

気づくと2021年はもう3か月が過ぎ去ろうとしている、春分の日の翌日。

最近のもっぱらの興味関心は、

農業・野菜

移住・地方・山・川・海

音楽・サックス

 

半年後の2021年9月には、どこか農業ができる地方へ移住をしようと絶賛計画中です!

(こんなところで宣言しちゃってよいのか!?笑)

 

でもきっと、引き寄せられている、呼ばれている、そんな感じがするのです。

 

 

 

2020年2月頃から新型コロナウイルスがこの地球を一変させた。

 

物理的な接触がとことん断絶された世界。

人々は、デジタル・テクノロジー・オンラインを用いて、

物理的な接触のない接触を維持しようと必死ですね。

もしくは、物理的な接触が断絶されながらも、従来の生活を続けようとしている。

相変わらずの満員電車。

不思議でなりません。

 

新型コロナウイルスがもたらした損害はもちろん計り知れない。

多くの命が奪われ、人々は疲弊している。

 

10年に1度は世界を変える何かが起こると言われているこのVUCAの世の中。

新型コロナウイルスがもたらした恩恵は?何もないのだろうか?

私たち人類に気付かせてくれたことは?

今必要なのは、「デジタル化」をひたすら進めることなのだろうか?

その先、人類の未来は明るくなる?ハッピーになる?

 

ちょうど10年を迎えた、東日本大震災

被害を直に受けた方々は、その経験から、自分の生き方が、価値観が、変わったはず。

被害を受けていない方々も、そんな人たちの語りから気づいたことも多いはず。

 

こんなにも、私たち自身と向き合う、振り返る機会がたくさん与えられているのに、

なかなか人間に変化が生まれない。

 

私は変わりたいので、変わります。

(というか、飽きちゃう性質。笑)

 

 

 陽の光を感じられないテレワーク

2020年3月頃からテレワークが開始。

はじめて気づいたこと。

この家は、テレワークする部屋じゃない。

 

お風呂入って寝るだけ用といっても過言ではない、

室内の日当たりはいまいちな1階の部屋に住んでいた。

外に出ないこともあるから、陽の光を感じにくい。

お昼3時頃になると、既に部屋の中が暗く感じて電気をつける。

 

裏には大家さんのお家。

大家さんはとっても優しいおばあちゃんで、素敵なご家族ではある。

だけど、部屋にいることが増えると、子どもたちの騒ぎ声

もともと子どもは好きなはずなのに、だんだんとその声が鬱陶しくなった。

もちろん子どもたちもなかなか外で遊べず、幼稚園や学校にも行けず、

ストレスが溜まっているのもわかる。

だけど、私にとっても、それはストレスだった。

(世のお父さんお母さんお疲れ様です)

 

ストレスも溜まっていたのか、口周りのニキビが激悪化した。

(後々、プロテイン飲むのを復活させたらだいぶ良くなった)

 

ちょうど契約更新が年末ということもあり、

9月に日当たりの良いお部屋に引っ越しました♡

めちゃくちゃ快適\( 'ω')/

 

陽の光を感じられない生活。

私にはもうできないな。

 

 地方に身を置くというだけワ―ケーションは中途半端

 テレワークが進むにつれ、ニュースでもよく取り上げられるようになった

「ワ―ケーション」。

PC・スマホさえあれば、いつでもどこでも自由にお仕事ができるから、

自然溢れる豊かな場所でお仕事を… という考え方。

確かに、住環境の選択肢が増える、という意味があったり、

地方経済が回るようになる、という意味があったりはするでしょう。

だけど。

中途半端じゃないですか?

仕事がしたいの?自然に触れたいの?

本来、「自然に生かされている」はずの人間。

画面に向かい、自然はふと眺めるだけ。

自然に失礼じゃないですか? 

挙句の果てには、

「テレワークで太った」

「テレワークで運動不足だ」

どこまで人間わがままなんだ...!

せっかく地方に引っ越したのに、相変わらずPCやスマホに向かうの?

 

ひたすら画面に向かい続ける生活。

私にはもうできないな。

(まだ20代なのに、画面見続ける時間が続くと目がしょぼつくようになりました)

 

おひさまの下で自分の身体を動かして食物をつくる農業の魅力

そんなことを感じていた矢先、たどり着いた「農業」。

 狩猟採集民族から、時を経て農耕牧畜民族へと進化した。

 

さて、なぜ農耕牧畜を始めたのか。

しかし、今から2万年ほど前に大陸氷河の後退が始まり、気候が次第に温暖化してくると、寒冷地を好む大型獣は北上して人間の住んでいるところから遠ざかって行った。

狩りが困難になると人々は食用にできる植物を探すより選択肢がなくなった。

しかし、大きな集団が採集生活で暮らせる土地は限られている、だとすれば、人類は一か所に定住して食料を調達する新しい方法を探さなければならなくなり、そこで考え出された新しい食料調達の方法が農耕と牧畜であった。

食べるものを自分の手で生産することは、過去の知識、経験を活用できる高度の知能と仲間と話し合って協力を求めることができる言語能力を備えていた新人類でなければできない行為であった。古代の農耕や牧畜は集団で分担、協力しなければ行えないことであった。

 

・狩猟採集しているだけでは、食物が足りない

・定住して食料を調達する方法を考えた

 

生きるという前提において、

食物を得ること(仕事)が目的であり、定住すること(環境)が手段だった。

 

では、現代はどうか。

 

生きるという前提において、

定住すること(環境)が目的であり、食物を得ること(仕事)が手段であることもあれば、

(ワ―ケーションとかはこれに当てはまりますね)

食物を得ること(仕事)が目的であるものの、

定住・移住・動住(造語です)の手段は自由ということもあるのではないでしょうか。

 

本来は、各地を移動しながら暮らしていた人類...。

ただし、生きるための食糧を得るために定住をせざるを得なかった人類...。

いつからか、定住が当たり前になり、食糧のために他の人を動かす(物流)という仕事を生み出した人類...。

挙句の果てには、テクノロジー・オンラインによる自らの運動不足を揶揄するようになった人類...。

 

 

いざ、本来の人類に戻ってみようではありませんか!

 

実は、実際に2月末にとある地方で農業体験をさせてもらいました。

体験して感じた結論は、

「農業やりたい!」

「移住したい!」

なのですが、

農業の魅力は、

①おひさまの下で自分の身体を動かす!

②自分の血や肉となる食物を作る喜び!

はもちろんなのですが、

③完全成果主義

④自然な協働作業

が新たな気づきでした。

 

③完全成果主義

 →成果が目に見えること

④自然な協働作業

 →成果・モノがすぐそこに目に見えるからこそ、

みんなでその成果をあげるための自然な協力が生まれる。

オンラインでの協働作業には

「共有するね、見てね、これやってね、あれやってね」という手間や指示が必要で、

抜け漏れ激しい人にはひたすらリマインドをするという無駄な作業が発生し、

とてもとても非効率。

(残念ながら、私は結構真面目タイプなので私個人の抜け漏れはなく、

自分自身ができてしまうから、

周りの抜け漏れに対するケツ叩き役になることが多く、

自分ができてることに対してケツ叩き役をするほどイラつく作業はありません)

そのくせ、

今は、縦割りでも横割りでも、似たような事業が多数展開されているから、

「協働が大事!」

「連携が大事!」

なんてことばかり言っている。

矛盾というか、違和感というか、なんだか気持ち悪い気さえしてくる。

 

作り手になりたい

昔から、占いとか、占い師さんによく言われるけど、

いまいちまだピンと来ていないことがある。

 

 

「アーティスト、芸術の才能があります」

 

 

小さい頃から、親のおかげで、たくさん習い事はさせてもらった。

 

ピアノ・エレクトーン

新体操

書道

英語

空手

水泳

陸上 ...などなど

 

小さい頃は楽しく(時に辛すぎてやめたいと思ったこともあったけど)

続けていた習い事。

 

せっかくお金も時間もかけて習ったのに、

それらを表現者として、もしくは指導者として、仕事として扱わない限り、

大人になると、

趣味などで続けたり携わったりすることが

なかなかないことは、

残念だな、もったいないな、大人も楽しめる環境があるといいのにな

とはずっと思ってきた。

 

これも、コロナ禍で、少し転換が起きた。

 

メディアから流れる情報がコロナ関連ばかりになり、

それ以外でもハッピーなニュースはほとんどなく、

世間の動向を知ることは大事だけど、

これらの情報を自分が取り入れることに、

どれだけ自分自身への価値があるのか、影響があるのかを考えると、

あまり取り入れる必要がないな、

取り入れたくないな、

と思うようになった。

 

代わりに取り入れるようになったもの。

 

それが、

 

音楽。

 

 

2020年の年末には、アルトサックスを購入。

 

鍵盤楽器しかやってこなかったけど、

昔から、コンサートとかでサックスを聞くたび、

いつも、

「サックスかっこいいなあ…」

と憧れていた。

 

 

2020年の秋頃から無性に楽器がやりたくなって、

でも鍵盤は昔からやってるし、

「よっしゃ、サックスだ!」

と思い立って、購入。

 

 

まだまだ下手くそだけど、

スポーツと同じく、楽器は自分ができるようになってる感が

自分自身で手ごたえを感じられるのが好き。

 

 

 

人間、「(共)食」と「音楽」があれば幸せなのではないかという感覚。

 正確に言うと言葉よりも先に音楽がありました。音楽を奏でて、遠くにいる仲間に直接的にメッセージを伝えたんです。

言葉は、人間が五感で感じるものをいったん抽象的にして再現する、非常に効率的でポータブルなもの。言葉によって、人間の共感力は格段に伸びたと思います。

 人間以外の霊長類は、ゴリラも、チンパンジーも、食べ物は見つけたその場で食べます。人間だけが食べ物を移動させて、仲間と安全な場所で共食するんです。

 

 

「農業」も、

「音楽」も、

自らが何かを創り出すこと。

クリエイター。

creator

つくりて。

これが、占い師さんのいう、

「アーティスト、芸術の才能」

に繋がることなんじゃないかな?という気もしている。

 

 

正直、これまでは、

周囲に期待される人生を歩んでいて、

親なり、友達なり、所属先なりのコミュニティのレベルや考えに染まり、

自分自身での選択がとても狭かった。

 

いろんな人と出会ったし、

いろんな勉強をしたし、

いろんなことを知ったとは思うけど、

それも、周囲からたまたまたどり着いた情報であって、

ほんの一部でしかない。

 

 

思えば、

小さい頃から歌うことがだいすきだったし、

外で遊ぶのがだいすきだった。

 

改めて、生まれたばかりの自分、

まっさらな自分で、

次のステップを、

自分の気持ちに素直に、

導かれたご縁に乗って、

進んでみるときだ。

健康診断おしまい!4kg減量!身長ちょい伸びた!

年に1回の健康診断。

たかが健康診断。されど健康診断。

毎年の結果が数字となって蓄積されていく。醜い結果は残したくない。

 

▼目標

マイナス6kg

 

▼結果

マイナス4kg

 

…未達でした。

でも、自分的にはいろいろな収穫があった1カ月でした。

 

結論から言うと、

 ①運動がたのきもちい!(楽しい&気持ちいい!)【運動の自分にとっての大切さ】

 ②美味しいと思ってたものが美味しくない!【味覚の変化】

固形物とらないオリジナルファスティング とは? 

前回の記事を書いた11月3日から、

「固形物とらないオリジナルファスティング」を開始。

 

▼固形物とらないオリジナルファスティング とは?

主に、

・青汁

プロテイン

・無調整豆乳

・甘酒

・味噌汁

・たまにグレープフルーツ、果物

 

断食やファステイングでは、酵素ドリンクや水のみで過ごすことが基本かと思いますが、

専門家についてもらっているわけでもないので、

多少の栄養をとる意味で、上記のようなもの「液体のみ」を飲んでました。

1日ごとの減量幅はいまいち

味のあるものも多いので、そんなに辛くはない。

 

11/8頃から、1h/日はウォーキングかランニングも始め、

(できるだけ、5km/30min、10km/1hくらいのペース…と思っていたけど、

運動不足過ぎて、10kmが、1h20minくらいかかってた(´-ω-`)やばい)

身体を動かすことを意識。

 

9月半ばに引っ越した家の近所の河川敷が気持ちいいのだああああー!

空が広いって素敵。

風が心地よい。

素敵なお山が見えます!

やっぱり人間は、自然との共生が大事なのだと、改めて認識。

(この辺もまた別の記事で書きたい)

 

確かに、初10kmランニング後は、1.3kg減った。 

 

でも、それ以外は、

0.2kg~0.5kg/日 程度しか減っていかない。

 

なんでえええ?

つまんなあああああああい...

たのしくなあああああああああああい!

 

 

そして、女子あるあるの便秘な感じ、食べてないのにお腹が張ってるような感じ。

なーんかうまくいってない感覚が当初からありました。

女の子は女の子の日の管理がやっぱり大事

固形物とらないオリジナルファスティングを始めて、10日ほど経った頃の11月12日。

 ・11/3:減量幅 0

 ・11/12:減量幅 -2.5kg

ということで、10日ほどで、体重としては、2.5kgほど減ってはいたのですが。

 

うまくいっていないと感じていた原因現る!!!!!!

 

女の子になりました♡にぱ(⋈◍>◡<◍)。✧♡💛

 

女性の皆さん、生理前って体重増えるんですよね。2,3kg増えることもあるのだとか。

イライラもストレスも溜まって、一般的にPMSと言われます。

私は基本的には、生理痛も然り、PMSもそーんなに自覚症状はないのですが、

確かに、前の女の子の日からの生活習慣が悪かったりすると、

(例えば飲みすぎ食べ過ぎとかね)

最近は、たまに、激痛が来る回があることもありました。

食欲のコントロールがしにくくなり、からだに水分をためこむ傾向になるため、むくみやすく、体重が増えやすくなるのです。この黄体期には、肌が乾燥したり、化粧のノリが悪くなったりと、美容面にも影響を及ぼすと言われています。妊娠した状況に備えて自分自身への防護が高まる傾向があり、心もからだも不安定なため、この期間は無理をしない「リラックスおすすめ期」と言えます。

 結局は、自分の体のようすを見て行動しないと、ダイエットもうまくいかないってことです。

そして、私は決めました。

当初、11/27の健康診断までオリジナルファスティングを続けるつもりでしたが…

会食付き博多出張のため、回復食に切り替え!

11/3 固形物とらないオリジナルファスティング開始:(減量幅)0kg

11/12 女の子開始:(減量幅)-2.5kg

11/14,15,16 回復食に切り替え:(減量幅)-3.0kg ※女の子も終了

11/17,18 博多出張

 

回復食は、おすすめとよく言われるスッキリ大根はじめまして!

もろみみそも買って、もりもり大根を食べました!

 

すると... 1h後ほどには、、、、 出ましたーーーーーっ!笑笑笑

ドバっジュバっと出たので、確かにきれいになった感じがありました✨笑

みなさまも是非お試しあれ。

 

ウォーキングランニングも入れていたこともあり、回復食でも多少減ってました。

 

女の子中でも、河川敷じゃんじゃん走ってました笑

結構追い込むタイプ笑 スポーツに関しては。笑

 

 

博多出張美味しいいいいいいい!

 炉端焼き

 海鮮

 博多ラーメン

抑えることなく、食べまくりました笑

一緒に行ったおじさまが、海鮮好き過ぎて、

あじ、さば、ふぐ、いか、明太さばとかとか…

でも、魚は栄養価高いから、罪悪感が少なかった!(ラーメン除く)

 

 

初福岡でしたが、

★山と海と都市の融合

★広い空

★空港までの近さ(市営地下鉄で行ける)

★バスの縦横無尽さ

などなど、大好きになりました(*'▽')

 

そして、体重はというと…?

 

ー3kgが、

+2kgに。

 

当初からの減りが、

ー1kgになってしまいましたーん💦

 

(実は、博多空港の後に、実家にも帰って3連休11/23まで過ごしてました。ひそひそ)

 

(実家でも米をたらふく食べ、母が誕生日だったのでケーキも食べ、

友達の新居で鍋を食べ、、、 大して動いてない日々。ひそひそ)

 

ひそひそしてても意味ないぞーーーー!

そりゃ戻るわっっっっっ!

 

やはり人付き合いがあると、摂取するものも、やることも、いろいろ制限されますね(言い訳)。

健康診断まであと3日。再度ファスティング!好調!

そして、ー1kgから再発起。

 

11/3 固形物とらないオリジナルファスティング開始:(減量幅)0kg

11/12 女の子開始:(減量幅)-2.5kg

11/14,15,16 回復食に切り替え:(減量幅)-3.0kg ※女の子も終了

11/17,18 博多出張

11/19-23 怠惰な日々:(減量幅)-1.0kg

11/24-26 直前ファスティング

 

11/24:アーモンドミルク、SAVASプロテインベリーミックス:(減量幅)-2.0kg

11/25:水、じっくりストレッチ:(減量幅)-3.0kg

11/26:じっくりストレッチ、青汁、プアール茶、1h脂肪燃焼ダンス:(減量幅)-4.0kg

 

なななんと!

結果、-4kgと挽回!!!!!

 

そして、お腹の調子が良い。

無意識にペタンコにできてる。

 

 

11/27の健康診断も、今朝家で計った体重よりも、さらに、ー0.5kgされて、

一桁台の数値を下げれたので、満足♬

ー6kgは届かなかったけれど、新たな食生活、運動習慣を手に入れました\( 'ω')/

 

 

健康診断が終わって、それでもまた海鮮が食べたかったので、

帰りにスシローでご褒美にしましたが、

「お腹がいっぱいになるのが早い…」

「このお腹のペタンコをなくしたくない...」

そんな気持ちから、ドカ食いせず、

ストックしてあるスイーツにもあまり手が伸びず。

 

これからの習慣

①1h/日は必ず動く!(ランニングかたけまりダンスかHIIT)

②ぽかぽか日向でじっくりストレッチ

③12-20時のみに食べるプチ断食をゆるり続ける

④できるだけプラントベース、ペスカトリアンで、野菜やきのこの素材の味を楽しむ
(粗びきソルトと、バルサミコ酢も、健康診断の帰りに購入♡)

 

という感じで、とにかく運動メイン。

「摂取よりも消費が増えればよい!」

「食べた分だけ動けばいい!」

という気持ちを大事に。

 

身体に合っているというのもそうだけど、

何より、運動してるときの自分の気持ちがとっても良い。

汗かきながら、いろいろ洗い流している感覚。

自分の体を直視しながら、自分にいいことしてる感覚。

音楽に合わせて楽しく踊っている感覚。

汗かくから、その後すぐお風呂にゆっくり浸かってぐっすり眠りたくなる。

 

やっぱり運動大事だあああああああーーーー

 

陸上やらサッカーやら、スポーツ楽しくて好きだった感覚を取り戻しました。

競争するスポーツじゃなくて、単に体を動かすってやっぱり気持ちいい。

筋肉痛とか最高!がんばった証拠だよね♡(Mか笑)

 

今回の学びは、

・単に実行するだけでは不十分

・自分を知り、自分に合うやり方を模索することが大事

ということ。

でも、体って一番敏感にわかりやすく反応が出るから、楽しいと思うのだ!

 

 

ということで、日々の積み重ねで引き続きゆるりと創りたい身体を創っていくことにします!

今日は、ファスティング中から気になってたラーメン屋さんに行っちゃうぞ!笑

(食べたいと思ったものはとりあえず食べるのだ!そのあと動けばよいのだ!)

 

 

 

 

 

お金もダイエットも考え方はシンプルだ。

▼お金

支出が収入を越えなければいい。

▼ダイエット

摂取が消費を越えなければいい。

 

ポジティブな表現で逆を言うと、

 

▼お金

収入が支出を越えればいい。

▼ダイエット

消費が摂取を越えればいい。

 

毎日がそうであれば、良い。

積み重ねだ。

考え方はシンプルだ。

 

 

去年パーソナルにも通って、プロテインも飲んで、健康的に感じるようになったのもつかの間、

半年前から、4kgくらい増えてしまった体重…(´-ω-`)

スイーツが食べた過ぎる日々...。

マスクの影響もあり、ニキビができちゃって一向によくならない...。

 

不健康!

醜い自分!

いやー!

 

ということで、今月末の健康診断に向けて、本気で痩せる!

めざせマイナス6kg!

 

青汁・プロテイン・サプリ・フルーツ でほぼファスティングにする。

 

☝のFit For Lifeに4,5月頃にはまって、

 ・午前中(am4-pm12):排泄・果物のみ

 ・昼(pm12-pm8):摂取・野菜中心

 ・夜(pm8-am4):吸収・できるだけ食べない

を実践しつつあったのだけど、午前中の果物しか習慣にならず。

 

そして、ちょうどその頃に飲んでたプロテインが空っぽになっちゃって、

代わりに、明治のsavas beautyは買っていたのだけど、

午前中果物にしたこともあって、習慣がなくなっちゃっていて。

 

最近、再度飲み始めたら、スイーツ欲が減ってる!

やはりたんぱく質不足なのかな。

 

Fit For Lifeもいいけど、

サラダチキン・ゆでたまごプロテインと、タンパク質ライフの頃の方が、

調子が良いので、そちらに戻します!!!

 

 

そして、美容関係も何かやりたい。

骨格診断?

スタイリスト?

カラーコーディネーター?

美容部員?

 

でも、まずそのためには、自分自身を整えなくちゃ。

 

 

最近気づいたことなのだけど、

やりたいことから自分の生活を埋めるには、

 

①お金のために、時間をかけて、人と何かをするのは面倒(意志決定に人と議論するのが嫌い)。

②遊びは誰かと楽しみたい(こともある。ひとりで何でも楽しめちゃうタイプだけど)。

③美容や音楽をやりたい。

 

だなと。もちろん、あくまでも私の場合です。

 

正直、

人間関係が面倒臭くなりすぎて、

仕事にも価値が見いだせなくて(とはいいつつ、やることはやるのだけど)、

欲もなくて、

「生きてる意味ってなに?」って思っていたけど。

こんな記事にも共感していたし。

(※私は、接客サービスでも、解雇にも遭っていませんが、気持ちがすごくわかるなと...)

 

でも、

意外とそんな本音をポロリと話すと、受け止めてくれる人がいて。

「今まで頑張ってた分、息抜きしてもいいんじゃない?」って、

頑張ってない自分でも変わらず接してもらえるのか、と少し安心して。

 

とりあえず、生きるしかないのかとちょっと吹っ切れてきた気がします。

 

 

だから、もっとシンプルに。かっこつけずに。

過ごしたい人生が過ごせるように、生活をデザインするのだ。

 

きれいに積み上げるキャリアじゃなくていい。

積み上げろって言われがちだけど、関係ない。

 

四柱推命でも、

 ・自由

 ・来るもの拒まず去るもの追わず

 ・熱しやすく冷めやすい(興味が移ろいやすい 仕事も恋愛も)

 ・アーティスト

な気質があるのだそう。

 

そういう、自分のタイプや特徴を知ったうえで、磨いていくって大事よね。

欠点を直すのもいいけど、

それに時間と労力をかけるより、

自分の生きやすい、過ごしやすい方法、道、選択をしたほうがずっと満足できる。

 

行き過ぎた教育は好きじゃない。「人のために」は本当にその"人"が求めていることか。

教育界のとあるおじさまたちが、「数学」をテーマとした打ち合わせで盛り上がっていたこと。

若者は、数学を実生活に活かせていない」

女性は、男性よりも数学に苦手意識がある」

教員は、算数は教えられても、数学は教えられてない。実生活に活きる数学じゃない。」

対若者、対女性、対教員...。

当然、おじさまたちに比べれば、私の方がその客体に近いターゲットである。

じゃあ、あんたたちは何者なの?

おじさんたちは数学を実生活で活かせているの?

 

誰かのために何かをするって、とてもきれいなことだと思うけど、

この時ばかりは、

議論が、自分たちの問題、自分事になってなさすぎて、

また、

私に近いターゲットが対象にされててもまったく共感ができなくて、

とっても違和感だった。 

挙句の果てには、

 

 「女性は、メイクに数学を取り入れたら面白いのかな?チークを入れる角度とか?」

 

・・・え(;'∀')。。。

「今日は、キリッと見せたいから、60度くらいでチーク入れようかしら」

なんて人がいたら、気持ち悪過ぎるわ!!!

 

おじさんたちが何かやりたい、という気持ちはわかるけど、

対象、ターゲット、客体の声も聞かず、事前調査もなく、勝手に盛り上がる議論。

ナンセンスである。

 

 

「"誰かのためにすること"は、本当に、"その誰かが求めていること"なのか?」

が、十分に議論検討されないまま、事が進むことが多すぎる。

 

仮に、その誰かが求めていることだとして、

「その誰かにどう届けるか」

いわゆるデリバリー、マーケティングが考えられてなさすぎる。

 

とどのつまりは、

「みんな勝手にやりたいことやってるだけじゃん」

って思う。

特に、官公庁がそういう仕事をしていると、

ああ、こうやって税金は無駄遣いされていくのね…と悲しくなる。

 

そりゃ、コンテンツや物が溢れるばかりで、仕分けも整理も断捨離もなく、

SDGsなんて達成されるわけがない。

コロナ禍の市場の変化において、

消費者のニーズに変化があったことは明確なのに、

生産者側の人員配置に変化がない。変化が遅い。

 

3COINSが、テレビで取り上げられていて、

商品企画部の皆さんが、

「自分たちがこれあったらいいな、と思うものを商品化する」 

とおっしゃってて、当たり前なんだけど、とっても響いた。

 

自分自身が、こうしたいな、こうなったらいいな、こうありたいな、と思えて、

その手助けになるものを創れるって、楽しいだろうなあ。。。

 

というか、仕事ってそういうものであるはず…。

 

 

 

「教育」が行き過ぎている。

 

大人たちが、子どもたちのためと思って、良かれと思って、率先していることが、

もしかしたら子どもたちは望んでいないことかもしれない。

もちろん、未来いつかのタイミングで、その恩恵を感じることはあるかもしれない。

でも、

未来いつかのタイミングじゃなくて、

今まさに直面してる課題や、実は本当はやりたいけどやってないこと、

があるのかもしれない。

それに気づいてあげる、それができるようにしてあげる、

そういうことのほうが大事なんじゃないかなあ。

 

 

自分自身も、幼いときは、

とにかく親が喜ぶように、勉強を頑張り、

親に連れまわされるがままに、習い事に行き、

親に恥をかかせないように、人に気を遣い。

学校の方針(学習指導要領)のままに、授業を受け、

先生に褒められるように、学級委員をやり、キャプテンをやり、

横断歩道に立つおばちゃんおじちゃんに、元気よく挨拶をして。

 

たくさんの大人たちに育てられ、助けられ、導かれてきた。

 

勉強を頑張ったから、がんばるスタンスの友達に出逢えて、

習い事に行ったから、今でも音楽や習字やスポーツが好きで、

人に気を遣ったから、会いたいと思ってくれる人がいる程度のコミュニケーションは取れて。

授業を受けたから、基礎学力がつき、

学級委員をやったから、組織・チームのことを考えるようになり、

元気よく挨拶をしたから、元気な子だねって言われるようになった。

 

たくさんの恩恵も感じている。

 

 

けれど。

 

 

それぞれの行動をとった当時、どこまで自分の意志があったか?は、定かではない。

 

意志 → 行動 → 収穫

と、

行動 → 収穫

には、

大きな差があるんじゃないかなと思うのがここ最近の感じているところ。

 

むしろ、

「意志」がどこにあるのか、何にあるのかが、そもそもわからない。

 

いわゆる、

「やりたいことがわからない」状態なのかも。

 

 

 

大人たちは、子どもたちを想って、何かをさせる、何かを提供する。

 

でもそれ以上に、

大人たちは、子どもたちのことを聞いて、したいことをサポートする必要があるんじゃないか。

子どもたちの「意志」に耳を傾ける。

 

生まれたばかりの赤ちゃんには、泣く意志がある。

わかりやすく意志を表現する。親はそれに構うしかない。

 

けれど、いつしか、子どもたちは、大人たちの立ち振る舞いを察するようになり、

そのわかりやすい意志を閉ざしてしまう。

 

 

今の自分もきっとそう。

自分の意志はどこにあるのか、何にあるのか。

改めて、感じ取って、意志のもとに行動していきたい。

逢うべき人に出逢えることを人は仕合わせと呼びます~『糸』鑑賞。~

「運命の糸ってあると思う。たまにほつれて、切れることもある。でもまた、何かにつながる。生きていれば必ず何かにつながる……」

「出会うべき時に、出会うべき人に出会うんだと思います」

「良い出会いも悪い出会いも含めて、仕え合わせるという"仕合せ"と書く」

 

当初4月公開だった映画『糸』。コロナの影響で、4カ月延び、8/21(金)公開。

今日観てきました。

涙、涙、涙…の連続でした。心揺れ動かされた。いい時間でした。

 

普段映画を観る習慣ってあまりなくて、ましてや映画館なんてほとんど行かないのに、

この『糸』は、予告見たときから何か気になっていて、

公開日が決まったら、やりたいことリストに入れてたくらい、

強く惹かれていた映画。

 

この映画を自分が映画館に足を運んで観に行ったこと自体も、

私にとって何か"つながる"ことのような気がしている。

 

中学校1年生、13歳の時に出逢った主人公のふたりが、

時を経て30歳を過ぎ、また巡り会うラブストーリー。

そういえば、私のこれまでの最大の恋愛も、中学校での出逢いだったりする。

将来を共にするようなことなんて約束してないし話してすらなかったけど、

一緒にいたときは、

「結婚したいなあ、ずっと一緒にいたいなあ」

なんて気持ちがあったっけ。

 

映画のように、

既に彼は、結婚しているけど。子どもはまだいないかな。

私は、葵ほどは飛び回ってはないけど、ある意味、好きに動いている。

30歳過ぎたら再会してまた何かが動くかなあ。

(再会できないほど遠い距離にいるわけじゃないけど)

 

 

コロナがあって、「こんな時だから、何かやらなきゃ」よりも、

今まで、気持も行動も割と、外(他者)に向いて(しまって)いたこともあって、

「こんな時だから、立ち止まろう」って感じた。

たくさん手放した。

 ・平日夕方、週末の、ほぼボランティアの少年サッカーの指導(緊急事態宣言中は実施不可)

 ・夏季休暇の、ほぼボランティアの母校高校のサマースクール(コロナで中止)

 ・都度都度、人からの頼み事

 ・オンライン飲み会のお誘い

手放した経緯は、自ら手放したわけではなく、

延期や中止で強制的に手放すことになったこともある。

でも、結果、手放して感じたことは、

「何のために忙しくしていたんだろう」

「何のために頑張っていたんだろう」

「何に焦っていたんだろう」

「何に不安だったんだろう」

「私は何がしたかったんだろう」

ということ。

 

常に、

自分ではない誰かのために、

自分ではない誰かに見てもらうための何かのために、

とにかく、「何かをしている自分」を創り出していたな、と。

 

時間や労力、気持ちに余裕ができると、

どんな些細なことでもいいから、自分が満足することを見つけられるようになった。

そして、そのために動けるようになった。

 

 ・果物野菜を食べること

 ・ゆっくりお風呂に入ること

 ・寝ること

 ・朝日を浴びて起きること

 ・見たいテレビを見ること

 ・聴きたい音楽を聴くこと

 ・行きたい場所に行くこと

 ・読みたい本を読むこと

 ・おしゃれな服を見ること、買うこと

 ・考えたいことを考えること

 

…人間って、日々、衣食住を満たすだけでもこんなに忙しいのか、と思った。

 

ただ。

毎日その時々で、自分が満足することをしているだけでは、

成長がないのかもしれない。

最終的になりたい姿からの逆算じゃないかもしれない。

 

「最終的には地元に帰って先生になるの?」

よく聞かれる質問。

そんなのわからない。

そもそも「最終的」って、いつのこと?何年後?何十年後?

もはや、私はいつまで生きるの?

 

誰も何もわからない。

「◎年後にありたい姿から考えろ」なんてよく言うけれど、

◎年後が今と何も変わらない環境だなんて誰もわからない。

 

だとしたら、

日々、その時々で自分を満たしてあげることの方が、

満足した一瞬一瞬の積み重ねの方が、幸せなんじゃないか。

 

やりたくないことをやらない、

辛いことから逃げていい、

っていうわけではない。

 

その行動ひとつを単体で楽しむ、満足するのではなくて、

何かに繋がる可能性に賭けて、ポジティブな未来を描いて進んでみること、

進んでみるときに自分自身の「やりたい」「進みたい」の気持ちがあることを直感でいいから確認すること、

かなと。

 

現に、『糸』のように、行動や出会いから、繋がっていることってたくさんある。

その時はわからないけど、振り返ってみたら、繋がっている。

 

これからも、自分の素直な気持ちに常に敏感でありたいし、

その気持ちから行動することを続けていきたい。

人脈が対価にならない問題。

「(自らの仕事のために)~~な高校生ヒアリングしたいんだけど?」

「(自らの仕事のために)~~な大学生若手社会人を集めた勉強会しないか?」

 

そんな相談や提案をもらうことが、よくある。

なぜかって、

私が、

いち個人としての活動(ほとんどボランティア)で

高校生、大学生、若手社会人との繋がり、人脈があるから。

 

もちろん、

 ①相談、提案をしてきた人 にとっては仕事になる(お金になる)

 ②高・大・社会人 にとっては勉強になる(お金になったりすることもある)

から、メリットがある。

 

はて、私にとっては?????

 

繋がりがあまりにも簡単に奪われ、活用されすぎているのが、スッキリしない。

 

名刺一枚の価値が約74万円ともいわれてる。

BtoB営業の経験があるので、名刺を獲得するために、

ひたすら交流会に行ったり、展示会で名刺交換数を競ったりしたので、

名刺・人脈の価値は痛いほどわかる。

 

そして、得た名刺・人脈を活かすまでには、多大な労力がかかることも。

だって、ただ名刺交換をしただけでは、本当の「人脈」にはならない。

ましてや、展示会などで膨大な量の名刺交換をしてるような場では、

その後に、いかに、

綿密・丁寧・印象に残る連絡を、

長期的に取って、

リレーションが築けるか。

これによって、その後の営業活動、ひいては取引に繋がるかが決まる。

 

 

たとえ相手が、高校生・大学生・若手社会人だろうと、それは同じ。

人間関係はすべて同じ。

 

①出会いの場に、どれだけ出向いているか

②出会った人と、どれだけリレーションを築いているか

 

この2つが多ければ多いほど、人脈はどんどん広がっていく。

 

私の場合、もともとの性分で、①は多いし、②も多い。

つまり、

出会いの場に出向くことが多いし、

リレーションも、こまめにやり取りをしているので、

人脈は広い方だと自他ともに言われる。

だからこそ、「コミュニティ」「コミュニティマネジメント」にも繋がる。

たくさんの人と、たくさんのコミュニケーションをしないと、

コミュニティは成り立たない。

 

 

そんな中。

①も②もしてなくて、人脈がない人に、

その人脈を、いとも簡単に使われるとなると、

とっても違和感がある。

 

いくら友達とはいえ、自分がかけた時間と労力が何も報われない、そんな気分になる。

もちろん、双方にとって良い場になることは間違いないし、

その場を創出したい気持ちはあれど、

「コーディネートしろ」と言われたり、

さらには、その集まった場で勝手に、各個人の情報を集めようとしたりされると、

私の、

①数々の出会いの場に、出向いた時間とお金(場合によっては参加費がかかるので)

②出会った人と、リレーションを築いてきた時間と労力

が、極論「勝手に奪われている」ような気にもなる。

 

心が狭いって言われるかもしれない。

もちろん、わたし自らが紹介したいと思って、

共通項のある人たちを集めた飲み会などをすることはある。

それはわたしが「やりたい」と思ってやっていること。

 

だけど、誰かにお願いされたことは違う。

集客や、場のコーディネートを仕事に、お金にしている人もいるはず。

同様のことをするのであれば、友達であれど、その対価はもらわないと成立しない。

 

 

そのため、 

・連絡した人数

・連絡にかかった時間(連絡回数)

・(イベントなどであれば)参加した人数 

などを、定量的に算出して、価値化(ざっくり値を付ける)して、

人脈を、ただで使われないように、

自分の人脈が、わたしの累積した行動によって形成されたものであることを伝えるように、

気を付けている。

 

じゃないと、自分自身の無価値化に繋がってしまうから。